地球の裏側・その2
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ペルー 3日目 朝7時30分 ホテル出発。
海沿いのリマ(首都)を離れ、いよいよ山岳地帯へ。 まずは、ローカル線で高度3000メートルを超えるクスコへ飛ぶ。 高山病は大丈夫か。
「薬、飲みますか」
空港に向かう車中で、ガイドのミゲルが問う。 「いや、いらない」 「皆さん、それ飲むんですか」 と、まりこさん。 「ねんのためです」 「あたしは絶対飲まないけど、問題はアナタよね」 「いや、いらない。・・・手荷物はひとり20キロだっけ」 「23キロまでオーケーです」 「なんだ。でも、荷物ひとつ預かっておいてね。10日後にリマに戻るから」 「問題ありません。クスコのオフィスでパスポートのコピー取ります。酸素量と脈拍、測ります。簡単な検査」 「・・・・・」
リマ空港。 ミゲルとドライバー君とはここで一旦お別れだ。 国内便のわりには検査がきびしい。 米国人とおぼしき一団は、皆自主的に靴を脱いで検査ゲートを通っている。さすがはテロの標的国の民だ。 フライトまで間がある。だが、喫煙場所は見当たらない。 禁煙にあれだけ煩いアメリカの空港にはあったのに。
「国で決めたんだからしょうがないか」 「少しぐらい我慢したら」 「だけど、クスコに着いたら高地で煙草が不味いんだぞ」 「おトイレ行っとかなくちゃ」 「紙、流すなよ。ちゃんと箱に入れろよ」 「わかってるわよ、でも、どうも慣れないわ」 「小ならともかく雲子もだもんな」 「小銭いるかしら」 「空港はいらないんじゃない」
そうなのだ。 ペルーでは、トイレで使用した紙は近くに設置された箱に捨てなければならない。国中のトイレの配管が細いので詰まってしまうらしい。昨日など、思わず拭いた紙を便器に落としてしまい、濡れた紙を急いで引き上げた。 さらに、トイレの前には大抵便所管理人がいて、1ソルを要求される。海辺のレストランではソルがなかったので1ドル渡してしまった。 注・1ソルは日本円で30円。
クスコ
到着すると、空港にガイドが待っていた。
「フスティーノといいます。おぼえにくいですね、ブスとおぼえるいいです、男なのにブス」
今度のガイド、フスさんは、50歳を越えた鼻髭のいかにも南米人という顔付きだが、ミゲル君に比べ物静かで穏やかな人物だった。大きめのバンに乗り込みオフィスに向かう。
世界遺産の街・クスコ。 雲ひとつない青空。樹がまばらに生えた山々に囲まれて、斜面から麓まで茶色い瓦屋根の家々が軒を連ねている。強い日差しが路上に黒い影を造っている。この風景の感じはどこかで見ような。青い空、茶色い大地。光と影。そうだ、スペインだ。 スペインがこの地を強奪したのは、自国に似ているからか・・・。 と前勝手な妄想をしながら、坂の多い町並みを眺めていた。
「あっ、あっ、・・・・」 「どうしたの」 「薄い、空気が薄い・・・酸素が少ない」 「ええ、わたし感じないけど」 そう思い込むと、途端に息苦しくなってきた。 無性に息を吸い込みたくなる。空気が薄いと思うから余計吸わなければと焦る。吸ういっぽう状態。高山病の一歩手前か。 確か予防対策として複式呼吸が効果があると書いてあった。 吸うのに夢中で吐くほうの意識を忘れてた。
「はあー・・・・・はあー・・・・」 「なに溜息ばかりついてるのよ」
オフィスに着く。 そこで我々を迎えてくれた人物が、今回の旅を有意義なものにしてくれた最大の功労者だった。 NAOさん。今回の旅程を手配してもらったK旅行社と提携しているナオ・ツアーのオーナー。ペルー在住30年以上という。 だから情報が豊富で、おかげで随分助けてもらった。これも後で分かった事だが、我々と同じ歳だった。 開けっぴろげな性格で、すぐさま十年来の友達のように打ち解けた。 まずはここでこれからのホテルや列車のチケットをもらい、パスポートのコピーをもらう。 待つ間、外に出る。坂の途中にオフィスがあるので眼下に町を見下ろせる。日差しが強い。空気が乾いているせいか風景の色彩がはっきりしている。家族連れが坂道を登ってくる。すれ違いざまに「ヴェノス・ディアス」と声をかけてみる。
「はあ、はあ、・・ェノス・ディアス」 地元の人でもこの長い坂は息が切れるだろう。まして、富士山の上のほうで暮らしてるようなもんだし。そう思った途端、息が苦しくなってきた。 落ち着け。まずは一服だ。いや、煙草を吸っても大丈夫か。吸った途端に高山病に・・・・まさか。おそるおそるショートホープに火を付ける。クスコに降りて始めての煙草だ。 うまい。高地では煙草が不味いなんて真っ赤な嘘だ。だいいち、煙を吐くという行為は実に深い複式呼吸じゃないか。あとは酒が美味いかどうかだな。
オフィスに戻ると、まりこさんが人差し指の先に小さな器械をつけていた。NAOさんがノートに数値を書き込んでいる。
「ぜんぜん大丈夫、ここに住めるくらい」 「よかった。問題はこの人よ」 「一応、酸素の量と脈拍を測ることになってるの」 「あ、そう。・・・・この指につけるわけね」 「・・・・・・・・・うん、ちょっと高いかな。ま、大丈夫だけど・・・薬、飲んでおく、安心材料に」 「いや、いりません」 「じゃあ、行きましょう。今から行くところはクスコより低い場所だから」
再びバンに乗り、その日から2泊するウルバンバに向かう。 昼飯をその途中にあるヤナワラの谷のNAOさん所有の道場付きレストハウスでご馳走になる事にしたのだ。ドライバーとNAOさん直々車に乗り4人で出発した。
「なんで道場なんか作ったの」 まりこさんが聞く。 「50近くになって、合気道を習い始めたのね。で、10年たって、ヤナワラに安い土地が見つかったので建てちゃったのよ」 「クスコは坂道が多いから大変だね」 「そう、だからクスコの女性はよく歩くので足首が細いの」 「日本と違って、家の屋根がどの家も同じ瓦で、統一感があっていい感じだ」 「昔はね、ワラのような・・・ほら、道端に生えてるあれ、イチュという草なんだけど、あれを葺いてたの。で、スペイン人が瓦の作り方を教えてみんな瓦になったのよ・・・あの木、なんだかわかります」 「こんな土地に結構立派な木が生えてるんで驚いたんだけど・・・・」 「あれはユーカリ。パンダはいないけど・・・オーストラリアからもってきて植えたらどんどん増えて・・・燃料にしたり役にたつけど、はびこるので、まあ良し悪しの木だわね・・・途中で市場寄りますが、何か欲しいものありますか」 「果物を少し買いたいわ」 「ペルーはマンゴーが美味しいの、でも今は季節じゃないから残念。その季節にまた来ましょう・・・わたしの娘が沖縄に行ったことがあって」 「うん、沖縄のマンゴーは美味いな、異常に高いけど」 「そう。娘がびっくりしてた、なんであんな値段で売ってるのって・・・今はみかんも美味しいし・・・アボカドはお奨めよ」 「ねえ、あなた、バナナがあったら買っておいて」 「モンキーバナナあったら最高だね。あれも沖縄では高いし、手に入りにくくなって、市場のお婆が偽者を平気で島バナナさぁって売りやがる」 「小さいバナナね、おいしわよね。たぶんあるでしょう・・・あと、デザートにと思って柿を買ってきたから、あとで食べましょう」
途中のピサック市場での買い物。 大きいバナナ4本、2ソル。物凄く大きいアボカド1個、2ソル。それに念願のモンキー・バナナも購入。興奮してたので値段は覚えていない。
ヤナワラの谷。 素晴らしくいいところだ。 目の前にそびえる山の雄大さに息を呑む。その下を流れる川の水面が陽光できらきら光っている。 風がユーカリの木々をゆらし、イチュの茂みを吹き渡る。静かだ。青空に浮かぶ雲が近い。 雄大な自然の中に、独りぽつんと座っている。頭の中は空白になり、ただドンとある景色を見飽きることなく眺めている。人の気配がまったくない。草地で羊や牛がのんびり草を食んでいる。時おり小屋からでた鶏が目の前をよぎる。光が山肌に黒い影をくっきりとつけている。 ネパールのポカラを思い出す。 しかし、ポカラは美しい景色だが、そこかしこに観光客がいて、それを目当ての人工物の施設が軒並み建っている。 そんなものが何も無いこの風景は貴重だ。
「あなた、お昼御飯の用意が出来ましたって」 「今行く」
2000坪の敷地に、母屋と道場が建っている。 なかなか立派な道場で、板張りの床と竹で編んだ天井が落ち着いた空間を作っている。まりこさんはそこで瞑想するというので、外の景色を一人眺めていたのだ。 母屋に昼飯が用意してあった。 板敷きで、一部に素焼きのレンガを敷き、中央の堀ごたつ式のテーブルに座ると、目の前にガラス張りの壁を通してヤナワラの谷の景色が見える。天井の梁の竹は、道場よりもさらに太い。
「竹は、アマゾンから運んだの。イメージとしては日本家屋っぽく設計して、ペルーの大工さんが建てたから・・・まあ、こんなもんでしょう。まりこさん、ベジタリアンだと聞いたんで野菜を中心に作ってもらったんですけど」 「いや、完全じゃないですよ、お魚も少しいただくし・・・まあ、美味しそう」 「高地に来たら、最初のうちは消化にいいもの、胃に負担をかけないもののほうがいいですから」
昼食メニュー。 ・小さく切ったジャガイモと豆のスープ。(黄色いピーマンのような辛い唐辛子を刻んだものを好みで入れる) ・トマトと赤ピーマンのみじん切りをのせた丸焼きのジャガイモとさつま芋 ・飼っている牛から作った塩の強い素朴なチーズ ・コカの葉をそそいだコカ茶 ・NAOさんが自宅で握ってきた五穀入り玄米おにぎりに、貴重な海苔。
ご馳走様でした。
しかし、おにぎり・・・しみじみ旨かった。
最後に、鶏小屋の隣りの建物に案内された。なにかを飼っているらしい。 暗い小屋の中を覗き込む。なにかが蠢いている。 「可愛いい。・・・・なんですか、うさぎ?」 「ウサギじゃないな・・・・モルモットにしては大きいし、なんだろう」 「これ・・・クイっていうの」 「へえー、見て見て・・・なんか、りすにも似てる。これ育ててどうするの」 「食べるの」 「・・・・・・・えっ」 「うそぉ・・・・・・・・」 その後の旅で、何度かクイを見たり、レストランのメニューにもクイ料理が載っていたが、この愛くるしい小動物を食べる気にはなれなかった。アルパカの肉は食べてしまったが。それは観光客相手の店のバイキング料理の中に混じっていて、つい知らずに皿に盛っちゃったんだが。
ヤナワラの谷に別れを告げ、ウルバンバを目指す。 高山病の兆候はまだ出ていない。さらに標高が下がるのは有難い。
カサ・アンディナ・ホテル。412号室。 麓の街道から500メートルほど登った所に、そのホテルは建っていた。 2階建てのコテージ形式の小奇麗なホテルで、周りに何もないこんな場所だからと期待していなかっただけに、ちょっと驚いた。
NAOさんにチェツク・インの手続きをしてもらう。 「今日は、ゆっくりしてください。明日は、近くの遺跡を見て回るスケジュールだから、9時にフスティーノが迎えにきます。朝食は4時半から7時までです。私はこれからクスコに戻ります。マチュピチュから戻ってくる日に・・・4日後か、その日に駅に私が行きますから、その時にまた会いましょう。じゃ、楽しい旅を・・・夜、星が綺麗よ」 「ありがとう。じゃあ、4日後に」 中庭を歩いて、2階の角部屋にインする。ベランダに通じる扉を開け放つと、目の前は農家だった。子供たちの遊ぶ声が聞こえる。かまどで煮炊きする煙の匂いが流れてくる。その向こうには天高く山が聳えている。
「いいねえ、牧歌的で。・・・農家だぞ、ラオスのホテル思い出さないか」 「あら、ほんと。・・・結構いいホテルじゃない。こんなところにねえ」 「さて、ひとっ風呂浴びるか・・・お湯の出がいいといいけどな」 「ここのトイレも紙はあれかしら」 「・・・・・うん、便器のよこに箱がある。シャワーだけにするかな、高山病の予防対策の中に、ぬるい風呂に入り、長湯をしない事というのがあったし・・・夕飯まで時間があるから、村を散歩してくるか」 「そうしたら、わたしはお風呂に入って、本を読んでる・・・ゆっくり読む暇がなかったんだもの」
ホテルのゲートを出て、村をのんびり歩く。 小さな村だ。ぽつんぽつんと点在する農家のほかには何もない。古びた構えの家屋は、原住民たちが代々住んできたものだろう。物見遊山の観光客としては、お邪魔するのが申し訳ない気がして早々に引き返す。 ロビーの横手のバーでビールを注文する。観光客としての正当な行為であろう。 いや、しまった。高地に入ったら、2・3日はアルコールを控えるようにと注意されてたんだ。大丈夫かな。・・・・・ビールぐらい平気だろう。
「・・・・・おっ、ペルーのビールも・・・・なかなかいけるなあ。さて、夕飯はなにを食うか・・・このホテルで食べるしかないし、まさかバイキングじゃないだろうな」
ディナー。 アラカルトでメニューを選べたので一安心。前菜とメインが夫々10種類ほどあった。 私:前菜 ココナッツ・ミルク味のフイッシュ・ケーキ(ミックス野菜添え) メイン:シーバスのグリル(ナッツのサラダとじゃがいも添え) まりこさん:前菜 じゃがいものスープ メイン:ベジタリアン・メニューのラザニア(モッツァレラ・チーズ) 何しろ量が多い。ふたりとも半分残す。うんざりして、デザートをパスして部屋に引き上げる。途中で中庭からみた満天の星は見事だったが。
「いやあ、まいったね。明日、もう一泊ここだよ。食べる所、ここしかないぞ ・・・・・・どうする」 「ルーム・サービスを少し頼んで、お味噌汁でもいいわね」 「ルーム・サービスのメニュー、部屋に置いてないぞ」 「えー。今回は、そーめんとかお蕎麦は持って来てないの」 「だって、ペルーは野菜が旨いし、日本人に合う料理が多いと思ってたから、荷物になるし置いてきた。せんべいすら持ってこなかった・・・ さっきの市場でパンを買っておけばよかったんだよ」 「あのパンね、素朴な味で美味しかった・・・アボカドがあるんだし、パンとアボカドだけでいいのよ、わたしは」 「デザートにバナナと桃があるし・・・・」 「NAOKOさんが置いてってくれた柿もあるじゃない」 「うーん・・・・市場の屋台めし、旨そうだったな、あれで充分だな、2ソルの地元のめしのほうが絶対旨いよ、ヘルシーだし」
さて、いよいよ明日からペルー観光のハイライト。 オリャンタイタンボの遺跡。そして、マチュピチュ遺跡への旅が始まる。 高山病はどうなるのだろうか。そして、何が待ち受けているのだろうか。
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Date: 2010/08/04(水)
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