地球の裏側・その1
EL

死ぬまでに行っておきたかった場所があった。
南米ペルーのマチュピチュ遺跡。
世界遺産でも人気ランキング・No.1。
それはともかく、マチュピチュの通過点の街・クスコ(世界遺産)は標高3310メートル。その周りに点在する遺跡は石段を登って見学するものばかりだ。
体力のあるうちに行っておきたい。 そう決心して、遂に南米に向かったのだ。

ペルーと聞くと、マチュピチュやナスカの地上絵、そして治安が悪そうだけど大丈夫か、というものではないだろうか。
私の場合、第一の心配は高山病であった。
煙草スパスパ酒ガンガンの人なのである。
旅行会社の人から高山病対策のレクチャーを受けた。
その中に、酒は控える事、初めの2・3日は飲まないのが望ましい。煙草は空気が薄い所では吸っても美味しくない。
何か行く前からもの凄いプレッシャーをかけられた。
だが行きたい、去年行く予定だったのに、豚インフルエンザで頓挫した悔しさもある。行くぞ!

デルタ航空280便は、約13時間のフライトで中継地アトランタに無事到着。
ここで思いがけない嬉しい事が。
アメリカの飛行場に、なんと喫煙スペースがあったのだ。ペルーの首都リマに向かう乗り継ぎのEゲート13番近くに、そして9番のバーの隣に。

乗り継ぎ便デルタ航空151便は、夜中の11時にリマに到着した。 日本時間のままの腕時計は1時、昼飯時である。
表に出ると、こんな時間にもかかわらず送迎の人々やタクシーの客引きでごった返していた。
「どうもよろしくお願いいたします」
なかなか上手い日本語で男が近づいて来た。
「ミゲルです…車、向こうにあります、あ、荷物ワタシ持ちます」
「その前に煙草吸わしてよ」
「あ、どうぞどうぞ」
今回の旅は、日本語を話せるガイドとドライバー付きの車を手配してもらった。
駐車場に止めてあった大型のワゴン車でホテルに向かう。
「ミゲルさん、日本語上手だね」
「ワタシ、6年間日本にいました。18の時に行きまして…とてもいい人たちにめぐまれまして…きびしかったですけれど、みんなかわいがってくれました」
ガイドのミゲルは、肉体労働者として日本に行き、最初は乱暴な言葉を覚えたが、現場の親方に俺というのは使うなと何度も注意された。その後、日本人の彼女が出来て女言葉になった。まだまだです。という男で、ペルーに帰国してからガイドの職を得たらしい。
「ペルーは治安はどうなの」
「大丈夫です。場所によります、暗い道、夜のひとり歩き、あぶないです。でも、最近です、あぶない犯罪ふえた。つい最近も拳銃使った強盗事件あります。昔はなかった」
ペルーの経済状況も聞いてみた。初任給、あるいは道路清掃の仕事で月額2万円。ミゲルは、3人の子持ちで、6万円は欲しいと言う。
「はい、もうすぐホテルつきます」
「おっ、スターバックスがある」
「でも高い。コーヒー7ドル、ディナーのセットメニューより高い。ペルー人の食事、いちばんは量が多い、次に安い、そして旨い、これ条件です、はっはっはっ…はい着きました」

EL
カントリークラブ・リマ・ホテル。
夜霧の中に3階建てのコロニアルな白い建物が浮かび上がっている。正面入り口の手前に巨大なシュロの樹が2本。趣のある佇まいだ。
とはいえ真夜中だ。早くシャワーを浴びて、横になりたい。
ここで問題が起きた。ホテル入り口の横とホールの外にあるベランダ以外全館禁煙だと言うのだ。
冗談じゃない。最初に決めたマリオットとかなんとかいうホテルが全館禁煙なので、ここに替えたのに。2泊するんだぞ。たかがペルーの分際で、ふざけるな。
しかし、真夜中である。悲しい気持ちで諦める。
「ベランダ付いてます、ナイショで、コッソリ」
ミゲルが小声で言う。さすがは日本の職人社会で揉まれただけのことはある。
「OK、明日もよろしく…お休み」
「はい、明日、午後から市内観光。ゆっくり休んでください。お休みなさい」
リマ初日。3階角部屋のテラスで、夜霧に包まれながら悠然と煙草を燻らし、ベッドに入る。明後日は高地クスコに飛ぶ。煙草が吸えるのも今のうちかもしれない。そのせいか、無性に煙草に固執している。

ペルー 2日目
7時15分
朝食を食べに下に降りる。我が妻マリコさんは朝風呂。今回の旅は二人旅である。某旅行会社に手配を頼んだ。
二人旅のツアー名は「サンクチュアリロッジに泊まるマチュピチュ・クスコ・チチカカ湖周遊15日間」
ちなみにマリコさんは朝食は食べない人である。
1階のレストランで230号室と告げ、オープンテラスに席を取る。灰皿が置いてある。よしよし。
ウェイターにフレッシュオレンジジュース・ノーシュガーとカフェ・コン・レチェを頼む。
スペイン統治の過去の名残りで、コーヒーを頼むと温めたミルクも一緒に持ってくる。ジュースが滅法美味い。
一服。
白人客が数組いる。 ジャケットを着ているのは俺だけだ。気を使い過ぎたかな。いや、日本人としてこのくらいのたしなみは…。
バイキングのコーナーに行き、ざっと一回りして、スイカ・パパイヤ・パイナップルのスライスと青リンゴ一個だけを選ぶ。昼飯に期待して軽めにする。
リンゴはマリコさんへのお土産。

昼前にミゲルが迎えに来て市内観光。
まず、今日は休館だが特別に開けてくれるという「天野博物館」へ。
ここが白眉だった。 プレ・インカからインカまでの土器と織物の収集が素晴らしい。
ボランティアで働いている若い職員の説明ガイドも分かりやすく、大変結構。
売り上げが博物館の維持に繋がるというのを聞いて、マリコさんはインカの塩を大量購入した。
旅は始まったばかりだぞ。いきなり荷物増やしてどうするんだと心の中で非難する。


EL
昼飯は海に突き出た老舗の海上レストラン。窓の外で海鳥が飛び交っている。
初めてのペルー料理だ。
ガイドのミゲルも同席してメニューを説明してくれるので楽だ。
で、オーダーしたのは
・ヒラメのセビッチェ
・シーフードのスープ
・イカスミのリゾット
・シーフードのリゾット
それにペルー産の白ワイン。マリコさんはガスなしのミネラルウォーター。
ペルーワインがなかなか美味い。日本に入って来てるのかな。3種類しか造ってないらしい。
明日から山岳地帯に入るので、新鮮な魚をたらふく堪能する。
「ペルー人、生の魚食べません」
「だけどセビッチェはどう見ても刺身だろう」
「レモン沢山しぼってかけたから生魚ではないと考えます」
「……。」

空を見上げると、かなりの数のハングライダーが飛んでいる。裕福層の趣味らしい。
崖の上には泊まる予定だったマリオットホテルや高級マンションが立ち並んでいる。
「立派なマンションが随分あるな」
「どんな人住んでるか、わかりますか。…ほとんど一人暮らしの女。金持ちのめかけ、議員のめかけです。海が見える部屋、家賃は10万」
再び市内観光。
車で旧市街の街並みを見て回る。リマの街も世界遺産に認定されている。

ミゲルは実によく喋る。
道々聞いた話。
日本は夏だが南半球のペルーは冬。この時期のリマは毎日霧がかかったような天候で青空の見える日は少ない。
ペルーの夏は暑い。でも冷房に慣れていないので、デパートに入って皆風邪をひく。湿度が高いのですごく蒸し暑い。
夏になると男はみんな洗車しに行く。女の子がTシャツとミニスカートで洗ってくれる店が沢山ある。男は離れた椅子に座って眺めるだけだが、水に濡れて肌が透けて見えるし、わざとお尻を見せるように洗ってくれたり、すごく人気がある。
あ、この辺りは夜になると女が立っています。売春街、そおいう女はすぐわかります。ここ、国立大学、環境悪いところにありますね。はっはっはっ。

ここは楽器屋街。左右みんな楽器屋、ペルーの特徴は一ヶ所に同じ物を売る店が集まってる。靴屋街、両替商。
「フジモリ元大統領はペルーではどういう評価されているのかな」
「良いところ悪いところある。いろいろ良いこと沢山した。でも、周りの取り巻きが悪かった。おもに軍関係。敵の国に武器を横流しして、その金を懐に入れた、ものすごい金額。信じられないですよ。ですから、そのころの取り巻きは、別荘買ったり、さっきの海が見えるマンション買ってめかけに与えたり。フジモリさん、関係してないと国民に言いましたが、大統領で知らないわけないでしょ。今、その時の関係者全員刑務所に入っています。」
しかし、ペルーでは今でもワイロの世界。医者もワイロ、交通違反もワイロ。

その時、何も喋らないドライバーが突然「ウォー」と叫んだ。
今、南米のチームが得点入れました。
そうか。今まさに、ワールドカップの真っ最中だった。で、当然サッカーの話題に。
南米は強い国が沢山あるために、代表に選ばれない。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイなど。
でも、ペルーで初めて、世界チャンピオン出ました。ボクシング、女の世界チャンピオン。強いです、何度も防衛してる、顔もいい。今日、試合があります。相手がすごく強いから負けるかも…だけど、大事な試合なのに、テレビで中継しない。
サッカーばかり中継する。82年から代表に出てないのにサッカーばかり。
ペルーはバレーボールも世界レベルです、女子ですけど。でも、バレーボールの中継しない。サッカーばかり。
そう、ペルーの女性は強いです、はっはっはっ。しかし政治家は男性ばかり。
女性差別ですね。ですからペルーは女性警官を増やそうとしています。
「マラドーナは今でも人気があるの」
ペルーでは、神です。麻薬はやりましたけど、神です。はい、ここで降ります。中央広場歩いて見学します。

リマの中心・中央広場。
ここにもスペインの影響が色濃く出ている。ペルーはどんな小さな町も中央広場があり、堂々とした教会が聳え建ち、噴水が備えてある。庶民の憩いの場だ。


EL

この日は特設会場が設置され、コカ・コーラの巨大なアドバルーンが置かれていた。ワールドカップの中継を大スクリーンで映して盛り上がろうというわけだ。
広場にはペルー人、観光客、物売りで賑わっている。

「ミゲル、人混みは疲れる、ホテルに戻ろう」
「もう一ヶ所、ホテル行く途中の綺麗な場所に行きましょう」
案内されたのは、海沿いにある「恋人たちの公園」
確かに海を見下ろす丘からの眺めは素晴らしい。
「このベンチ、なんかガウディぽいな」
「そう、ガウディ意識して造りました。この男女がキスしてる銅像の前で写真を撮ると別れないというので、結婚式挙げたら最後にここで記念撮影、この下に行きましょう、何でもあります」」
階段をおりると、一大ショッピングモールが広がっていた。これがペルーとは信じられないほど明るく近代的でモダンな店が軒を連ねていた。
「アルパカのセーター、この中に私のおすすめの店、デザインのいい店あります」
で結局、その店でベビーアルパカの帽子を買ってしまった。
とりあえずホテルに戻る。

「夕食は日本食レストランをと聞いてましたから予約して、何時にしますか…7時いいですか。では、6時45分にホテルのロビーで待っています」
2時間ほど部屋で寛ぐ。
夕食は日本食。
ひや奴・大根の煮物・わかめサラダ・鯛の味噌汁・タコの刺身。それに、穴子2貫サヨリ2貫鮪の赤身2貫を握ってもらう。
えっ、何でいきなり日本食を食いに行くのか。
若いうちはともかく、バターやチーズを使った重たい食事は、きついんだよ。まして明日から6日間は日本食にありつけない事がわかっている状況ですから。
日本レストラン「紀ろう」期待以上の店でありました。

こうして、ペルーの旅の始まり、リマの日程が終わった。

明日はクスコに飛び、高度を下げてヤナワラの谷周辺に2泊して体を慣らし、いよいよマチュピチュに向かう。
最後に、もっともカルチャーショックだった事。

もし貴方が、トイレに入ってウンコをしたとする。立派な水洗便所です。トイレットペーパーもあります。ウンコを優しく拭きました。さて、その拭いた紙を便器に流してはいけないのです。
貴方ならどうする。貴方ならどうする。

答えは次回。
Date: 2010/07/14(水)


「春はどこから来るかしら・・・」

イブの徒然日記


2月24日
「梅は咲いたか桜はまだかいな」


梅祭りが始まって3日目の水戸偕楽園。梅はまだ二分咲きといったところでやや寂しい。初めての偕楽園。庭園にある好文亭が素晴らしい。水戸藩藩主 徳川斉昭の創設の二層三階建。上から眺める梅林や湖はまことに結構。
ところで、現在水戸にて撮影中の[桜田門外ノ変]で、私、井伊大老を演じてまして、この御仁は水戸藩にとって憎き奴で、井伊直弼の彦根と斉昭の水戸は犬猿の仲でありました。だから、水戸では町を歩いていても妙に落ち着かなく、袋叩きにされるんじゃないか、後ろから刺されるんじゃないかと緊張しておりまして。
しかし、昨年度永きに渡り不仲だった水戸市と彦根市は仲直りをして、記念に彦根から水戸に数羽の黒鳥が贈られたのでありました。好文亭から見下ろす千波湖には、その黒鳥が悠々と泳いでいます。撮影でも井伊大老は、めでたく?首を跳ねられ、安堵の思いで偕楽園を散歩していると…。斉昭役は北大路欣也さんで、素晴らしい建物を建立したと感じいった次第です。斉昭あっぱれなり。斉昭公が北大路さんほど二枚目だったかどうかは定かではありませんが。
昨年行った河津桜は散り際だったし、今年の梅は咲き初め。厄年が明けるのは、来年3月です。


3月9日
「かれーなる食卓」


・・ある休日。 めったにない贅沢な食事にありつけた。久しぶりに有機農法百姓人S氏を訪ねる。帰りに土産を沢山頂く。山東白菜の漬物一樽、2ヶ月分はあるぞ。ほうれん草段ボール一箱、どうする!原木椎茸。長ネギ・大根・小松菜。その他諸々。さらに、S宅に向かう途中の道の駅で、地卵とシメジ茸と黄色い茸を買ってしまった。
ご近所に配る。それでもまだ大量の野菜が…。
さて、どう食うか。 翌日、1日の献立を考える。
そして
朝 ネギを大量に入れて鳥南蛮そばを食す。
昼 椎茸・しめじ茸・黄色い茸と油揚げで きのこ飯を土鍋で焚き、山東菜の漬物、小松菜のゴマ合え、大根の味噌汁を食す。
夜 ほうれん草のカレーと卵カレーを2時間かけて作る。ほうれん草大量消費。ほとんどベジタリアン的食事内容。
力がある野菜は実に美味しい。いい食材が手に入る幸せ。ありがたいことです。
日本の食糧事情は、壊滅に向かっている。となると、紙切れに過ぎない金より、食糧の確保は己が自分の手で作るのが一番いいという結論に達するのです。
自給自足が 夢だ。その日の夜。俺がナレーションを担当した[巨大地震・メガクエイク]がNHKで放送された。


3月19日
「つくしにたどりつくし」


「…もうすぐ桜が咲く。そんな気配が濃厚に漂う晴れた日の昼下がり。
…ふと、散歩でもするかと歩きだす。
…近所に住む元気のいい親父が畑の傍らで大釜を炊いている。
「よう…」
「良い陽気ですね」
「明日は大雨だとよ。明日はおはぎ作ろうと小豆炊いてんだけど、参っちゃうよ」
「そうですか…」
…再び歩きだす。
…沈丁花の香りがそこかしこに漂い、木蓮の白い花が目立つ季節だ。
…これがパリとかフィレンツェなら、カフェに座ってワインでも…。
…よし!今夜はワインを飲もう!となると…バゲットを買わんといかんな。
…散歩の目的が出来た。方向転換してパン屋に向かう。
…パリの街角を歩いてると、バゲットを一本むき出しのまま手に持って歩く親父を見かける。ちょいと素敵な姿だ。
…しかし、この辺りでむき出しのパンを持ってブラブラ歩いていたら、盗んで来たと思われるかな?
…上等じゃあねぇか、それならそれで結構だ!あの細長い袋は拒否してむき出しのまま買うぞ。近所のマーケットで買い物する時だって無駄な資源を出さないようにトートバッグを持って行くんだから。
…それにしても良い陽気だ。まさに散歩日和だ。遠回りして何時もと違う道を歩いてみよう。
…造成中の分譲地の角を曲がる。
…うん?
「あれは…まさか」
…空き地の斜面にちょんちょんと顔出してるのは。
「間違いない…つくしだ!」
…つくしの卵とじ!」


3月25日
「思い立ったが吉日?」


突然、熊野に行きたい…!と思った。あるでしょう、無性に何かしたくなる事って。
温泉に行きたいとか、オムライスを食いたいとか、体を鍛えてみたいとかって。
私の場合、まず、神社に行きたい…伊勢や出雲ではなく、今回は熊野に…と漠然と思い、となると久しぶりに玉置神社か、になり宿は、熊野本宮近くの湯の峰温泉だな、どうせ行くなら白浜に飛行機で飛んで、一泊じゃ疲れるし、前から目をつけていた海沿いの6室の静かな宿がある椿温泉に泊まり、翌朝、熊野古道で玉置に向かうというのがいいだろう、となって…。
現在、旅2日目の宿、峰温泉で湯上がりほてり状態なのである。
今回の旅では、実に驚くべき事が起こり続けている!
二軒の宿ともに他に泊まり客がいない!
玉置神社に参拝している間、誰にも会わない!
三連休明けとはいえ…。
椿温泉の宿Uでも、湯の峰のI屋でも、男湯女湯関係なし。大きな湯船に独りゆったりと浸かり、風呂上がりのビールを飲みながら、テラスから目の前の海に沈む夕陽を静かに眺める、あるいは山間の湯けむりの風情を楽しみながら山鳥の声を聞くとという贅沢さ。
さらに神社を訪ねれば、参道の杉の巨木を縫うように靄が立ち込める幽玄の世界の中を歩いて、霧の中に忽然と姿を現した神殿に息をのんだ。
十年振りの玉置神社が神々しく姿を現した時は、やはり来てよかったと感動したのだが。
ふと、思った。
あまりにも事が上手く運び過ぎる。いい時もある、だけど悪い時もある、というのが人生だ。そして…翌日。 その嫌な予感は的中した。

帰りの飛行機が霧のために欠航となり、ぎりぎり最終の新大阪行きの電車に間に合うという冷や汗をかいて、新幹線のぞみに駆け込み、その車中で、ほっと一息ついておもむろに包み開いた夕食のめはり寿司。がふりと噛みつき、巻いてある高菜漬けを食いちぎって咀嚼し初めた途端、コリッと硬いものが口中に。指で取り出して見ると…奥歯だった。
人生、色々あらーな!


3月29日
「3・28」


ことさらに うれしくもない 誕生日
…昔は嬉しかった。
あっという間に、一年が過ぎて。
誕生日。
せめてワインでも飲みながら静かに迎える、つもりだったが。
ドラマの撮影が入り、新幹線で京都に向かう。
誕生日に、寺の坊主の役ときた。
祝 首都高 新宿ー渋谷線開通の日ときた。
去年は、厄年・天中殺というありがたくない年のわりには、大病もせず、不幸にも見舞われず、強いて言えば座骨神経痛になった程度の一年だった。
朝起きて、居間の片隅で読書している我妻にいつもなら
「おはよう」
と声をかけるのだが、黙って我妻の前に立った。
「おはよう」
「……」
「…なに、どうしたのよ」
「……」
「あっ、そうね。(笑)おめでとう」
まあ、こんな程度だ。誕生日のプレゼントだって、我が家では、ここ数年、[何なにが欲しい]と自己申告制になっている。思い悩んでプレゼントしても、その後使われた形跡のないものが多いし、だったら互いに[これが欲しい]と申告するのが妥当だとなった。
今年は、ドリスバンノッテンのアジアンテイストのパンツ…と思ったが、増える一方だし洋服はもういいか…とも考える。しかし、これと言う欲しい物がない。
京都は桜が咲き初めていた。
花冷えの体を風呂で温め、さあ京都だ、誕生日だ、美味い夕飯を食いたいと心当たりの店に電話を入れたが、三軒とも定休日。
そうか、今日は日曜日だ。
フロントで近場の和食を紹介してもらおうと尋ねたら
「本日はお花見のお客様でご予約取れるお店が限られると思われますが…」
と何軒か当たってもらい、紹介された店に腰を落ち着けたが、騒がしい団体客がいて落ち着かない。だし巻き玉子・新玉ねぎホイル焼き・海老いも甘酢あんかけと焼酎三杯で店を出る。
このままホテルに戻るのも悔しい。
しばらく歩いていると、湯葉料理の店とおでんの暖簾をかけた店が並んだいた。
関西系のおでんは鍋にすじ肉が入り出汁が旨い。
迷わずおでんの店に飛び込む。
付きだしに筍と生麩の炊いたのが出て、思わずマネージャーのAに囁く。
「この店、当たりかも」
厚揚げとこんにゃくを注文して、屋久島の焼酎・三岳で乾杯する。
筆による手書きのメニューを見ると、なんと!よこわの刺身がある。富山のホタルイカも旨そうだ。
それから二時間。三岳をお湯割りで五杯飲み、若い板前楽しく語り、千鳥足でホテルにたどり着いて、爆睡したのである。
それなりに良い誕生日だった。
因みに 店の名前は
……[チドリアシ]だ。


4月12日 
「桜の下には...。」


満開の桜を見ると、気分がナチュラルハイになる。心が桜色に染まる。たとえ危うい状況に有ろうと、なんだか、日本はいい国だと思ってしまったりする。
バスに乗ったら、馬鹿でかい声で
「人間、笑うが一番、ねっ、今の子供は人と話そうとしない、ね、どうしようもないね」
等とテンション上がり捲った中年親父がいたり、車で信号待ちをしている飯倉の交差点で、反対車線のライトバンを必死の形相で走って追いかけてる警官もいたりする…。
それにしても凛々しかったな、あの警官。交通巡査だったが、口に笛をくわえたまま、途中で帽子を取って小脇に抱え、違反者を全速力で追いかける姿。人間、全速力で走りながら警笛は吹けないもんなんだということも判った。
桜の季節は色んな出来事のピントが合って鮮明に見える。
今年は、桜に恵まれていた。
和歌山県・熊野の旅で見た初桜。ロケーションの合間に見た京都の桜。東京は目黒川沿いの花見パーティーの桜。そして今月末には青森・弘前城で桜祭りを狙った撮影がある。
それに伴い、春のご馳走も各地で堪能した。
そのなかで、感動的に美味かったのが、我が家で食べたつくしと鴨のすき焼き。
つくしは近所の空き地にいくらでも生えている。誰も見向きもしないので摘み放題だ。ただし、はかまを取る手間が大変だ。もやしの根を取るより面倒くさい。指を真っ黒にしながら1時間もかかってしまった。
その甲斐があって、鴨とつくしと白ネギのみのすき焼きは、実に旨かった。京都の洛北にある摘み草料理の宿で知った食べ方だ。
そして、デザートにと九州から送られてきた夏ミカンを食べた瞬間、歯が欠けた。
…今年に入って二本目だ。
前回は奥歯だったが、今度は前歯。明日の撮影、どうしよう。
心が灰色に染まった瞬間だった。


4月21日
「めで鯛」


熱海の漁師Sさんの漁師料理屋がオープンした。
Sさんは、毎朝4時にはアマになって海に潜る。以前も熱海市内で店をやってたが、朝の漁と二股では体が持たない…と漁ん選んだのに。また、1日の睡眠2・3時間の生活に戻る事になって…大丈夫かな?
開店祝いに駆けつけた。
メンバーはご存知3馬鹿兄弟?である。
新店舗は、目の前に伊豆山の海が広がる絶景の地に建っていた。店内も想像してたものより数倍大きい。前の持ち主からの居抜きだが、天井の梁など黒光りして居酒屋というより料亭としても通るほどのものだった。
今回はもうひとつ目的があった。前回遊びに来た時に、船着き場の脇の漁師小屋に帽子を忘れて来た。ボルサリーノのお気に入りのやつが数ヶ月ぶりに戻ってくる。
早めに到着したので、まずは温泉に。
『いやー熱海とくりゃあ温泉だね」
『湯上がりのビールが待っている」
『熱っ…ちょっと熱いな」
『嘘お…こんなもんだろう」
『いやーいいね。贅沢だね」
『極楽、極楽…体にやさしい湯だね」
『温泉の湯って、なんだか湯冷めしないんだよなぁ」
『男三人で入っても…なんだかなぁ」
『何、混浴がいいってか」
等とガヤガヤ開放感に浸ってたら、先客の青年がこそこそ出て行った。
『騒がしいから上がっちゃたぞ」
『悪いことしたな」 『いやー貸し切り貸し切り…」
やはり3馬鹿だ。

一番乗りで座席に陣取る。
まずはビールで乾杯。
卓上には、島さんからの心づくしの朝漁りの魚が船盛りされてある。
いなだ、鯵、烏賊、伊勢海老、サザエ、アワビ、マグロの赤身。どれも身がプリプリだ。
『こうなりゃあ酒だね」『そうだね、そのあと、芋焼酎のお湯割り」
そこへ島さん登場。『おめでとう!」
『魚馬鹿旨…朝捕ってきたの?」
『そう…今の時期は魚が少ないから大変なんだ、全部、前の海捕れたやつだから」
『マグロも?」
『馬鹿言ってんじゃないよ…マグロは勝浦から取り寄せたんだよ…まあ、ゆっくり飲んでってよ、二次会もあるから…」
「芸者付き?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、はっはっはっ」
そして、3人で
楽しく飲んで
ひたすら飲んで二次会で歌って飲んで
ホテルの部屋に帰ってからも飲み続け
朝を迎えたのである。
完全な二日酔いである。
断片に覚えているのは
朝起きてカーテンを開けて下を見たら、島さん一行が前の浜にテントを張って、炭火で何かを焼いている。客はひとりもいない。二人をたたき起こして、浴衣で下に降りた。焼きたての鯵の干物とサザエ飯を朝飯として食べ、どうしても金を受け取らないのでご馳走になり、朝飯の会場に行って、バイキングに並んだ物の中から茹でたアスパラを二本皿に乗せ、熱い味噌汁とともに盆に乗せて席に着く。
「ビール、一杯だけ飲みますか」
画家のKが切り出す。「おっ、いいね」
コピーライターのSが同意し
「すいませーん、ビール2本とグラス3っつ」
と、俺が自棄になって注文して、乾杯。
朝風呂に浸かり、着替えて、歩いて、島さんたちのいる伊豆山漁港に行き、別れの挨拶をと思ったら
「ダイビングのグループ乗せて船出しちゃったから…1時間ぐらいで戻るんじゃないかな」
と聞いて
漁師小屋の前のテーブルに座り、のんびり海を見ながら缶ビールを飲んで帰船を待つ。
島さんの息子の船が帰って来る。客の釣り人が鯛を釣ったというので見せてもらう。
島さんが帰って来て、お世話になった礼を言い、又来るから、と別れの挨拶をして腰を上げた。
そうだ!帽子だ。
「おう、サザエと一緒に送るから…また遊びに来てよ…どうせ暇なんだろう、はっはっはっ」
これが島さんの最後の言葉だ。

それから3日後、サザエが送られて来た。
しかし、
帽子は入っていなかった。


5月1日
「鯖に当たる!」


「津軽食堂」という映画の撮影で、本州の北端・青森県に来ている。
弘前城の桜祭りの会場に巨大なテントを張って、津軽そばなどを売る四代続いた老舗食堂の話である。
5月連休、桜は満開だ。
全国各地からこの祭りに25万人を超える観光客が来るという。
まことに見事な桜…らしい。
20年以上前に、大河ドラマのロケで春夏秋冬訪れた津軽だが、弘前城の桜は見ていない。
今回初めて見ることが叶う。
だが、さすがにこの時期はホテルが全て満室で、スタッフ・キャストは一旦弘前市を離れ、八戸市に移動した。
ということは…
俺の出るシーンがないのである。弘前の食堂の親父役なので八戸では出る幕がないのである。つまり、俺だけ撮休なのである。
したはんで、どしたごとするがなぁ(だから、何しようかな)
ホテルでもらった近隣の地図によれば、朝市が立つらしい。

朝6時45分。
ホテルを出る。風が冷たい。朝風呂に入ったのは不味かった。しばらく歩いていると、朝早くから、作業着を売る店が空いていて、おばあちゃんが箒で店の前を掃除している。
「何か、風避けにナイロンのジャンパーがあるかな?」
「ありますよ。八戸は風が強いがらね」
950円のジャンパーを買って、ジャケットの下に着込む。
「この先で朝市やってるよね」
「今日はやってますね、今年でおしまいなんですよ」
しばらく歩くと、道の両側に露店が並んだ一角があった。輪島の朝市などに比べたら可哀想なくらい小規模な市だ。
しかもほとんどの店が片付け始めている。だいたい7時で店を終うらしい。
魚、野菜、果物、惣菜など何れも素朴で旨そうだ。
「これは何?」
「ウニ飯だ、おいしいよ」「このヒジキの煮たのも旨そうだ、あっ、よもぎ大福だ。香りいいんだよね」
「今はまだ時期でないから粉末だよ」
「…こっちの白いのは」
「それは稗だよ」
「いやぁ、色々あって迷っちゃうなあ」

本日の朝飯
ウニ飯
まいたけと蒟蒻の煮っころがし
高菜の漬物
デザートはリンゴ(ふじ)と稗大福
しめて890円なり。
ホテルの部屋の窓から、五月晴れの八戸の街並みを眺めながら、美味しくいただいた。
ベッドに寝転んで津軽弁の方言指導テープを聴いてるうちに、疲れからか眠ってしまった。

午前11時 街に出る。
風が強烈に吹いている。
ひなびた神社に参拝して、八戸城址跡公園の桜を眺めに行くが、強風による砂ぼこりに目を開けていられず早々に退散する。
地元のデパートでバーゲン品の靴下二足購入。持参するのを忘れたのだ。
昼飯は八戸ラーメン。煮干しの風味は嫌いではない。
再び街を歩く。
バス停に並んでるのは、じいちゃんばあちゃんばっかりだな。パチンコ店の喫煙所の椅子も爺いと婆あで占領されている。
コンビニで煙草と水を購入。
「いらっしゃいませこんにちは」
何とかならないかね、この挨拶。気持ち悪くて鳥肌が立つ。新宿のインド料理屋でインド人に言われた時は退けぞった。
しかし、風が凄い。作業着店で買ったナイロンジャンパーが役に立つ。それでも強い風だ。 書店のコーヒーコーナーに飛び込む。
読書。ざっと新刊書を眺めて、街へ。公民館脇の掲示板に、なんと、ベンチャーズのポスターが。
初めて彼らのライブを観たのは高校生の時だから、40年以上活動していることになる。凄いことだぞ、こりは!と感動したところで、津軽弁のセリフを覚えるべく、ホテルに戻る。
が、いつの間にか昼寝していた。

夜の街に繰り出す。 ここで何の気なしに飛び込んだ店の鯖が当たりだった。
鯖の刺身が絶品だった。
しかし、当たらないだろうかという不安はあった。かつて鯖を自分で〆て蕁麻疹が出て、救急車を呼んだ経験を二度持つ俺だ。
店の親父の説明で安心した。
八戸沖で捕れた銀サバを、マイナス18℃の中に生きたまま放り込み、30分で港に帰船して、マイナス40℃の冷凍室で保存すると、鯖の体内にいる虫は死に、更に1年以上新鮮なまま保存出来るという。
炭火焼きを注文する。脂が乗っていて実に美味い。
「それ、ゴマサバだ。真サバに比べるとランクが落ちるサバなのに、料理によってはゴマサバは旨いんだ、特にこの辺りの海で捕れるやつは」
鯖のつくねも焼いてもらう。日本酒がすすむ。
親父との会話が弾む。
「何月生まれ?」
と親父が聞いた。
「3月」
「えっ、一緒だ。何日?」
「28日」
「ははは、一緒だよ、本当に。いや、この商売やってて初めてだよ、誕生日が一緒のお客さんに会ったの、はははは、いやあ、嬉しいな、ははははは」
八戸の夜は、こうして更けて行ったのである。
Date: 2010/05/10(月)


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