西表島・馬鹿ッ晴れ
何故か、沖縄に魅かれる。
周辺の島々も素敵だ。
その中でも、特に好きな島。
「西表島」

今回が三度目の西表島。
初めて来た時は、
ヒルギの森を抜け、滝まで、
カヤック(ひとり乗り用)を漕ぎ、
滝壺で泳いだ。
イリオモテ山猫や箱亀をいかにして
守るか、という島人たちの苦労話を聞いた。
自然を守るという基本を思い出させてくれた。

二度目は春。
密林の中に突如出現した蛍の群れ。
その幻想的な美しさに絶句した。感動した。
島の植物の繊維(芭蕉など)を糸にして、
天然の植物(フク木など)の草木で染めて
織る芭蕉布などの布。伝説の技と文化を
継承し、創造し続けている石垣昭子氏と
出会い、布を一枚注文したのもこの時。
その布は、一年以上たったある日
我が家に送られてきた。

今回の西表島。
梅雨に入っている沖縄地方とは言え、
気温は30度近い。となれば、
「海で泳ぐ」という非日常的行為に走りたくなる。
島に着いた途端、
どこが梅雨だという位、太陽が照り付け、
汗がとめどなく流れ落ちる。
レンタカーを貸り、途中の川満ストアーで
シーズン真っ盛りのパイナップルを買う。
さらに、なんという幸運か、島バナナが5房
並んで売っているではないか。
「これ、あしたも売ってるかなぁ?」
「島バナナは、時々しか出ないサー」
「(興奮して)じゃ、全部買う。これ、全部!!」

ホテルにチェックイン。
Mリゾート・ホテル。
西表島に魅かれるのは、実は、
このホテルの存在が大きい。
部屋数、2つ。広大なベランダの一角に
露天の風呂が付いている。そこからの眺めが
素晴らしい。
真正面にどんと広がる山と海。
備え付けのデッキ・チェアーに座って、眼の前の
景色を眺めているだけで、どこへも出掛けたく
なくなってしまう。
鳥が啼く。蝶が飛ぶ。
キュルルルル・・・と美しい鳴き声は、アカショウビン。
誰か下手な笛を練習していると思ったら、
モスグリーンの青バトの鳴く声だった。
小さなトンボの群れ。
人間の声が聞こえないのがいい。
人間の姿が見えないのがいい。
しかも、嬉しいことに3泊の宿泊の間
我々1組のみという貸し切り状態なのである。

さっそく水着に着替え
小道を降りて、浜に出る。
人影はまるで無い。
シュノーケルを付けて、潜る。
いた!魚だ!スクガラスの群れか?
大きな魚がすーっとよぎる。
「気持ち良いったらありゃしねぇー」
ハナ歌が出る。
―誰もいない海ぃー(ミナミ・サオリ?)

本日のディナー
・アオリイカのオリーブ・オイルソース 
 (フランスパン)
・アーサーの冷製スープ 
・地魚のオーブン焼き 
 (新玉ねぎとジャガ芋沿え)
・青豆御飯とみそ汁
・デザートは、やき芋味のアイスクリーム
お店にあったワインから
 イタリアの白ワインを一本いただく。
ディナーを終えて、
オーナーのSさん(女性)と唯一のスタッフ、
TOMEくん(男性)と赤ワインで乾杯。
久々の(3年振り)再会に話が弾む。
「今回は泳ぐのがテーマということで、
 綺麗なビーチ教えて。岩場もシュノーケルで
 潜りたいのでよろしく。」
「明日、案内しますよ。もしよろしければ
 明日か明後日の夕食、御一緒しませんか?
 TOME、明日、さざえ採りに行ったら・・・」
「いいですね。波が荒れてなければ、引き潮の
 時間に行きましょう」

翌日は、午前中を穴場の小さなビーチで過ごし、
昼食は「唐変木」というお気に入りのレストランで
カレーを食べ、満腹だというのに紅芋タルトを食べ、
午後は、TOMEくんの案内で足ヒレをかついで
貝のいる岩場に行く。
途中、深い所をしばらく泳ぐので足ヒレは
是非必要だということらしい。
足ヒレで泳ぐ習慣がないので慣れるまで
足ヒレは足かせだった。だが
目的の岩場に辿り着き、水中を覗いた瞬間
「うおおおおーっ」
あまりの美しい景色に呆然とした。
色とりどりのサンゴ。
大小のカラフルな魚たち。
原色のうつぼまで顔を出す。
「はげしく美しい。楽しい。」
ハナ歌が出る。
―竜宮城へー来てみればー絵にもかけない
 美しさーー(童謡?)

翌日。エコ・ツアーの第一人者Y氏と一緒に、
布のお礼を兼ねて
石垣さんの工房を訪ねる。
御主人のKさんにもお会い出来た。
琉球犬のハッピーにも会えた。
話しの合間に
「節祭」の話題になった。
節祭―しち
旧歴の九月に三日間に渡って行われる祭。
三百年以上の伝統ある行事らしい。
初日は、一年を納める日。精進料理を家族で
食べ、家の中や仕事の道具などをきれいに掃除して
翌日の新しい年を迎える準備をする。
二日目は、朝の鐘(ドラ)の音を合図に
浜で村中の人が一日中、行事を執り行なう。
毎年、厄年の男がひとり選ばれ、その祭の間
「神」になる。お面をかぶり、扇を振りながら、
村を練り歩き、浜に設けた舞台の神座に座る。
神になっている間は、食事も水もトイレすら
行く事を禁じられる。
数々の出し物が、村人によって行なわれる。
女達による優雅な舞い。“男達の剣舞”というよりは
二人で演じる剣の型取りか。
子供達の組み合いから始まり、青年部、中高年の迫力ある
組み合いが浜辺で繰り広げられる。
メインは神を迎える重要な役目を担った
船頭以下舟子たちが、神迎えのために
仕立てられた二艘のサバニ(舟)を、
赤白に別れて、満ち潮に乗って
海から訪れる神を迎えに
力強く競い合って沖に漕ぎ出す。
海岸では、女達が応援の踊りで盛り上げる。
老いも若きも、子供達まですべての村人が
参加して祝う「節祭」

話を聞いていて、何かがひっかかった。
これに似た祭、あるいは儀式の場に居たぞ。
あれは、どこだったか?
そうだ、バリ島だ。
バリの奥地の村で、偶然見たんだ。
バリも、村の祭りや婚礼・葬儀は素晴らしい。
ガムランの音色と踊り。
踊り手は次第にトランス状態になる。
憑依する。それは神々しいまでに美しい。
男達が集団で猿になって歌い踊るケチヤ。
何度見ても見飽きない。
観光地で、見せ物として演じているものではなく
その村人達のみで行われている儀式に
出会った時の感動。
神々を敬い、崇める祭礼の厳かな場。
そして、月明かりの下で演奏してくれた
幻想的なガムランの音色。
お供え物から流れてくる香のかおり。
それらが、私をバリ島に呼んでいたのだ。
なぜ、ベトナムでもなく、中国やタイでもなく
バリ島だったのか。
そうなのだ。
バリ島そのものが「いやしろ地」だったのだ。

西表島の節祭。
こうした風習や文化を持ち続ける限り
そこに生まれ、生長した人間は
他人を思いやり、人間不信などならずに
人生を歩んでいるだろう。
毎日のようにニュースに流れる猟奇的な事件とは
無縁の、安らいだ生活が営なまれているだろう。
文明の発達した日本。
文化が失われつつある日本。
しかし、西表島は、今のところ
「守られている島」であり
「守っている島」なのだろう。
そういう場所があり
その場所に行って、
良い「気」を頂けるというのは、
実に「ありがたい」事なのである。

仕事から解放され、
都会の喧噪から逃れて
太古の自然の懐に抱かれて
夢見ごこちの三日間が終わった。
明日からは那覇に移動して
中部にステイして
沖縄北部、国頭(やんばる)を
散策してみようと思っている。
Date: 2007/06/12(火)


花火

ヒュルルルー  ドン ぱっ・・・・
シュウルゥッルルルルル  ドドーン  ぱっ・・・

伊武 「たまやぁー」
S  「たぁまやー」
K  「たまたまやー」
慎の字「・・・・・」

熱海
夜空に大輪の花が咲く。
その日、定期的に行われる花火大会を楽しもうと、
ビーチには大勢の観光客が集まっていた。
波静かな海上の沖合いに、一艘の漁船が停泊していた。
船上に陣取り、天空を仰ぎ見ている五人の男達。
ご存知、伊武雅刀。
切り絵画家のK。
コピーライターのS。
伊武のマネージャーの慎の字。
この舟の手配をしてくれた、漁師料理屋の主、アーちゃん。
そして、もうひとり、アーちゃんの友達の船長。

ヒューウウウウウ  ドオン  ぱっ ぱっ・・・

何という贅沢。
海の上は、我々一行だけという貸切状態。
何という見事な花火だ。
かつて、数多の花火を観てきたが、一番素敵な花火だ。
感動した。感嘆した。
目の前にぱっと花が開く。
暫くして、ドーンという音が背後からやって来る。
前の山に向かって「やっほー」と叫んだら、
後ろから「やっほー」が聞こえた
と想像してみてください。
光と音の一大スペクタル。ん、スペクタクル? 
あれ、どっちだっけ。まー、んなことはいいや。
とにかく凄い。
こんな花火、見たこと無いっていう・・・。

ここで、私の花火歴をざっと披露すると
幼い頃の思い出は、なんといっても夏休みの庭先での花火。
特に好きだったのが、電気花火。
それから、ねずみ花火に線香花火。
明るいうちにやるへび花火。
子供にとって毎日でも飽きない花火遊び。

子供といえば、我が娘が小学校に上がるか上がらない頃の話。
バリ島にバカンスに行こうという事になり、
「よーし、ビーチで花火をやって愛娘を喜ばしてやろう」と、
花火セットを鞄に忍ばせて
成田空港に向かったことがありました。
当時はそうだったのか、
それともあの時がたまたまだったのか
チェックイン・カウンターで手続きする前に、
空港職員が二人、手荷物検査をやっていた。
もちろん花火なんか持っていけるはずがない。
しかし、バリの子供達だって
花火なんか見た事がないだろうし
ここまで持ってきて置いて行くのも癪だと、
しかとすることに。

係員 「何か危険物などは入っていませんよね」
私  「えっ、ええ・・・」
係員 「はい、結構ですよ」
 その時、娘が叫んだ。
娘  「おとうさん、花火はいいんだよね」
があーん。一瞬のしらけた間。とっさに私は係員に
   「あっ、そうだ。花火持ってきたんだ。
    花火は、あれですか、
    持っていけるものなんですかねえ」
係員 「花火はもちこめませんよ・・」
私  「やっぱり。そうだったんだ、駄目だったんだ」

私は、旅行鞄から、花火セットを取り出し係員に渡した。
荷物を詰めるときに、つい娘に
  「バリ島に行ったら花火やろうね」
と、余計なことを言ったのが拙かった。
娘はがっかりした声で言った。
  「花火、出来なくなっちゃったね」
  「うん、そうだね」
しかし、時効ということでバラすと、
花火セットは二つ用意していたのである。
もう一つは別の鞄に入れておいたのである。
サンセット・ビーチでの花火は、
バリの現地の子供達も交えて
おおいに盛り上がったのは言うまでもない。

江戸川の花火大会。
屋形船を一艘借り切って、
明るいうちに上流から出発して良い
場所を確保しての花火見物。
事務所恒例の行事だった。五年ほど続けたか。
この花火の催しには、欠点があった。
いい場所が確保できないと、遠くで見ることになり、
それだったら岸から見物したほうがいいじゃん、
となる。
さらに、午後二時過ぎには舟が出るので、
花火が上がる頃には何人か泥酔している者がいる。
なおかつ、帰りも舟の上から逃げることが出来ず、
またしても飲み続けべろんべろんになって
岡に上がることになる。

一昨年まで、十年以上続いた花火大会があった。
「桃花火」
荒木町の「M]という鍋料理屋の主人が先頭になって、
常連や友人、知人が参加してのこじんまりとした花火。
参加費ひとり一万円。
一発の尺玉が一万円。
つまり、集まった人数分だけ花火が上がるという趣向である。
第一回目の時は、参加50人ほど。
多摩川の河原で、芋煮鍋を囲んでワイワイと
酒を酌み交わし、日が暮れると、
まさに目の前50メートルの地点からドーンと
尺玉花火を打ち上げる。
そのド迫力に全員感嘆の声を上げたもんだ。
風向きによっては、火の粉が頭上に降りかかってきたり。
手作りのなんとも風流な花火なのである。
その後、噂や口コミで年々人数が増えて、
酒の肴も多種になり焼き鳥、おでん、
さんまやイカの姿焼き、炭火焼肉、ほたて焼
定番の芋煮鍋。
中には徹夜でパンを焼いてくる奇特な方まで現れて、
酒も持ち込み自由で、旨い純米酒はどんどん集まるは、
辛口のワインだ、赤だ、白だと、飲めや唄えの大騒ぎ。
200人規模に膨れ上がり、出し物も、
花火の前座に三味線片手に一節聞かせる姐さんたち。
かっぽれを踊る下町衆。やれ何処其処の太鼓だ、
それ沖縄のミンサーだと
阿鼻叫喚の酒池肉林。
上がる花火も200発を超え、
真に盛り上がる催しだった。
しかし、いい事はいつまでも続かない。
三年ほど前から、その花火大会にスポンサーが付いた。
酒は同じ銘柄の日本酒が並び、ワインも赤白一種類だけ。
そうなると、今ひとつ燃えない。
仕組まれた感じで、自由な雰囲気がそこなわれている。
客の層もだいぶ変わってきたようで
ついに、主催人の桃さんが
「今年でやめよう」
と決断してしまい、桃花火は終焉を迎えてしまったのだ。

だから、熱海の花火は一年振りの花火なのだ。
そして、私の花火暦でもっとも感動した花火だった。
船長、ありがとう。我々のために、
しかも友達値段で舟を出してくれて、嬉しいかぎりです。
アーちゃん、ありがとう。
話しには聞いていたが、
実際に観て震えるほど素晴らしかった。
ついでに、一緒に盛り上がった四人の諸君にも「ありがとう」



ひゅーるるるるるるるる  ドドン  ぱっ ぱっ
ぴょーーーーるるるるう  ドガン  ぱぱっ 

たぁまやぁー
Date: 2007/05/14(月)


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