天国と地獄
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おいしい仕事が、極偶にある。 連続ドラマの三週分を一日でまとめて撮ってもらえた、とか 一週間の海外ロケで自分の出番は二日だけ あとは自由とか もちろん、きつい仕事もある。 真冬の寒風吹きすさぶ中での野外ロケ。 朝から始まった撮影が、次の日の明け方までかかり、 二時間ほど仮眠して、違う現場へ直行、 夜中まで法廷シーンを撮影して、 次の日がまた朝からロケ、とか。 三日間、朝、昼、晩、生ハムだけを ひたすら食わされたのは 「イタリア・生ハム紀行」みたいなタイトルの旅番組。 あん時ゃ一年間生ハムを見るだけで 吐き気をもよおしたもんだ。
きのうは、おいしい方の仕事。 一日、それも二時間で一年分をまとめて録るCMの録音。 これは、今年で十五年目。 「おおきに、儲けさしてもろうて、すんまへんなぁ、」 な仕事で、夕方前には終わって、心うきうきの銀座界隈。
何か旨いもんが食いたい。 友人のKを呼び出し、Kのお勧めの天麩羅屋に向かう。 五丁目あたりの十字路で、ご家族とショッピングを楽しむ 天海嬢とばったり遭遇。 「あらー」 「いやー」 と別れ、予約を入れた件の天麩羅屋に。 「あれ、確かこの角を、あっもう一本向こうだ。 やっぱり本物も綺麗ですね、歩いたりするんですね」 Kがのんびりとのたまう。 一瞬、心の中で思う。 ・・・こいつとふたりで飯を食うより、 彼女のような美人と差し向かいで食事したいよ、俺だって。
おいしい仕事のあとの、おいしい食事。 小奇麗な店構え、白木のカウンターの向こうに熟練の技で、 黙々とてんぷらを揚げる店主。 まずは熱燗をグイッと飲る。 二つ折りの和紙の上に、車えびの頭が二つ置かれる。 「しおで召し上がってみてください」 噛むと、えび特有の香りが口中にひろがる。 つづいて、うすい衣で揚げた本体が二本。 サクッと噛んで、うん?と違和感を感じ、 噛み切ったえびの断面を見ると、 揚げて白いはずの中心部が透明なのだ。 つまり、ミディアム・レアーだ。 ・・・うーむ、おぬしもやるな、なのである。 我が家の近所のスーパーでは 絶対手に入らない鮮度抜群のえびだ。 「これ、まだ揚がってないんですけど・・・」 などとKが言いだしゃあしないか心配したが、 奴は口髭に油をてからせながら 「うまい、うまい」 を連発している。 以前、名古屋で「味噌煮込みうどん」を食わせたら 「なんだ、これ、まだ煮えてねえぞ」 と、まじで怒ったのがいたっけ。 それはともかく、一本を塩で、もう一本は天つゆで食べる。 塩のほうが旨い。 店主に聞くと、塩は山口県から取り寄せているという。 山口生まれのKのうれしそうな顔。 「ボク、山口なんです」 店主は、それに応えず、どうぞと新しく替えた和紙の上に 鮮やかなグリーンの野菜を置いた。 三つに切られたグリーンアスパラガス。 これだけ太いのに、何という柔らかさだ。 続いて、蓮根。 しっかりと豊かな蓮根の香りと歯ざわり。 店主曰く 「土が良いから野菜の味がしっかりしてるんです」 和紙を替えて、キスが来た。 「江戸前です」 つまり東京湾だな、当たり前か。 しかし、きす・めごち ・あなごという天麩羅江戸前御三家になったのは、 何時の頃からなのか。おっと、 「熱燗もう一本、いやそれぞれ手酌で飲るから二本下さい」 茄子が出た。うーん、ジューシー、だが、この時期に。 「やわらかいでしょう、その大きさで・・・」 この店、魚も然ることながら野菜が滅法旨い。 きりが無いので食したものをざっと並べると、 この後 めごち。 しいたけ。その芳醇な香りに感服。 あなご。 と満足して、クライマックスを迎える。 「最後にかき揚げになりますが、 天丼と天茶のどちらになさいますか」 天茶・・・てんぷら茶漬け。 かの池波正太郎が仕上げに食したというやつだ。 いつか一度はお目にかかりたいと願っていたが、 酒飲んで飯なんか食えるかタイプの俺は だが、一呼吸置いて、重々しく渋い声を発した。 「天茶でお願いします」 Kも、鼻にかかった声で 「あ、ボクも天茶、それと冷酒を・・・」 「酒はいいよ、もう一軒寄ろうよ」 「ああそうですね、まだ早いし、そこでゆっくり飲める」 一軒で済めばいいけどなぁ。 蓋をかぶせた茶碗と漬物、茶の入った土瓶が置かれる。 蓋を取ると、かるく盛った白米の上に小柱のかき揚げが。 「初めてなので、お茶はどのくらいかけたら・・・」 店主自ら土瓶を取り上げ、ほうじ茶を茶碗の淵から 静かに注いでくれる。 「かき揚げを浸さない程度に、わさびをといて、 さくさく感を楽しみながら召し上がってみて下さい」 うん、おお、いや、これはいける。 お茶に油が浮くんじゃないかと危惧したが、 まったくそんなことは無い。 いい油を贅沢に使うという事は、こうゆう事なのか。 あれだけ天麩羅を食べたあとだというのに、 別腹に入るかのように夢中で食べ、 瞬く間にお腹の中に納まった。 いや、満足。幸せいっぱい、腹いっぱい。 ご馳走様でした。ありがとう御座いました。
もう一軒は何処にするか。 幸福な気分を壊さないで、いい雰囲気で飲みたい。 「どこかある?ホテルのバーっていうのもあれだしなぁ」 Kが高揚した顔で 「もう少し新橋よりに古いバーがあるけど、覚えてるかな あ、出版社の人に一度だけ連れてってもらっただけだから、 イブさん気に入ると思うけど、そこ行きません」 というわけで、新橋に向かって歩き出す。
「あれ?たしかこの辺りだったんだけど。 一本道間違えたかな。 いや、この通りのはずだな・・・ えっ、いや、こんな大きなビルはなかった・・・ あれ、ちょっと、ここで待ってて下さい・・・・・・・・ あっ、ここだ。イブさん、こっちこっち・・・」
だが、しかし 天ぷらで天国を味わった俺達に、地獄が待ち受けていた。
ビルの谷間にぽつんと佇む古い洋館。 年期の入った頑丈な木製のドア。 Kが、ねッちょっといい感じでしょ、とドアを押す。 「ん、開かない。やってないのかな?」 その時、顔の高さにあった小窓が開いた。 そこには、年期の入った女の顔が現れた。 一瞬の間の後、重々しいドアが開いた。
時が、半世紀前にタイム・スリップした。 高い天井、太い梁、石造りの階段、漆喰の黄ばんだ白壁。 小振りのカウンターの向こうに並ぶ洋酒類の瓶。 バーテンは、初老の男と息子ぐらい歳が離れた若い男。 昭和20年代のミルクホールの女給のような 格好の若い娘が一人。 黒い地味なスーツを着た物静かな中年女もいる。 ドアから顔を出した、この店のママと思しき年増が 微笑みながら静かな声で言った。 「お二階に上がりますか。お好きなお席へ、どうぞ」 二階に上がるが、客の姿は無くがらんとしてて寂しい。 階下に降り、マントルピースの前の古い椅子に座った。 「お飲み物は何がよろしいかしら」 Kがすかさず 「ぼくはハイボール」 と気取った声で注文する。 「じゃあ、同じものを」 やがてグラスが目の前におかれ、乾杯。 「いい店でしょう、ここ」 「うん、雰囲気あるなあ。太宰や安吾も常連だったり・・」 「たまには、こういう飲み方も・・・」 「そうね、天麩羅も上等だったし、仕上げには、ここ、 グット・チョイスじゃない」 「でしよ、鳥ぎんにしなくて正解だったかも・・・」 取り留めのない話を、いかにも銀座で遊びなれしている風情で 交わしていると 「お代わりお持ちしましょうか」 と、ママがしずしずやって来て声を掛ける。 「うん、そうね、もう一杯。静かですね・・・」 「まだ時間がお早いですから」 と去っていく年期が入った年増ママ。 やがて、お代わりが運ばれてくる。 その時、入り口の扉が開き、 ご機嫌に酔った親父が入って来た。 カウンターに直行すると 「一杯くれ、すぐ帰るから」 「あら、いらっしゃい、また戻って来ちゃたの」 「一杯で帰る、明日早いから・・・」 推察するに、どうやら常連らしい。 さらに、この店で飲んだ後、ほかで飲んで、 舞い戻ってきた客のようだ。 その時、Kの携帯がなった。 Kの携帯には感心するぐらいかかって来る。鬱陶しい。 「もしもし、あっどうも、えっ、いま銀座で・・・」 その時、店内に大声が響いた。 「おいっ、ここは電話、禁止だ、表で話してくれ!」 常連親父がこっちを睨んでいる。 Kが焦った声で、あっす、すいません。と外に出た。 俺はちょっとムッとした。 Kも多少は悪いが、もう少し優しい注意の仕方があるだろう。 暫くしてKが戻ってきた。 俺はグラスの酒をグイッとあおり、そろそろ帰るかと 腰を浮かしかけると 「さてと、帰るぞ」 と、銀座は我が庭下町育ち風親父がのたまった。 「あらあら・・・ありがとうございました」 忙しないおっさんだ。ものの5分と居なかっただろう。 あの親父が帰るんなら、もう少しゆっくりするかと 座り直してカウンターの方を見ると、 親父が財布から一万円札を抜いてママに渡している。 「はい、おつり、七千円・・またお越しください」 親父は釣りを受け取ると、千鳥足で店を出て行った。 俺は小声で 「このあたりの商店街の店主かな、三千円か、 シングルモルトのスコッチかな・・・ ところで、ドリンク・メニュー見もしないで 俺達頼んでるけど、これ、一杯いくらかな」 「ハイボールだから千円もしないでしょう。 僕の経験からすると、こういう店では ハイボールを頼んどけば、間違いないですから・・・ もう一杯飲みましょうか」 「うん。何かほかの酒がいいなぁ、 カウンターで立ち飲みしようか、 ここに座ってるのも飽きた」
それからカウンターのに移り、 バーテン達と取り留めのない話しをしながら、 その間に、 俺がバーボンをロックで、 Kがソーダ割りで、 二杯ずつ飲み、さあ帰るかとなり、 突き出された勘定書きを見て驚いた。
¥24000
思わず顔を見合わせ、こそこそ割り勘で一万二千円ずつ払い 釈然としないまま店を出た。 「結構いい値段取るなぁ、天麩羅屋とたいして変わんねぇぜ、 銀座値段ということか」 と歩きながら俺が言う。 その言葉にKが答えた。 「思ったよりあれだったな・・・ああ、それで雑誌社の人が 言ってたのか、あの店は一杯だけ飲む店だからって、 そういう事だったんだ、今思い出した・・・ あっ、判った。あそこは、何を飲んでも一杯3000円だったんだ!」 能天気に喋っているKを横目に見ながら、 俺は地下鉄銀座線新橋駅の入り口に向かって歩き続けた。 午後九時。 銀座は、まだ宵の口である。
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Date: 2007/04/16(月)
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