「刑事部長 スピード違反で捕まる」

日曜日の早朝、川崎市の路上で、俳優のIが
スピード違反で捕まった。ロケ現場に向かう途
中の出来事だった。その日、Iは刑事ドラマの
撮影があったらしい。しかも刑事部長の役だっ
た。さらに間の悪い事に免許証不携帯だった。

「いやあ、日曜の朝6時にスピード違反の取締
りをやるとは・・・がらがらの道で前にトロト
ロ走ってる軽トラがいて、2車線の右側に出て
追い越して左車線に戻って走ってたら、突然警
官がふたり飛び出してきて道路脇に誘導されて
あっやばい、と思ったよ。ウインドー開けたら
免許証をお願いします。と言われて、あっまず
い、とあせった。免許証はもう一台の車のダッ
シュボードの中に入れっぱなしなんだ。しかも
ゴールドの・・・それは関係ないか、で、正直
にその事を言ったら、これから取りに戻って○
○警察署の方で手続きして下さい。と言われて
冗談じゃないと思って、そんなことしてたらロ
ケ間に合わないだろ、で、くさい芝居だけど時
計見ながら、いや撮影現場に7時までには行か
ないとまずいんです。と必死で言ったわけよ。
捜査本部のシーンの撮影で、私、刑事部長で。
言うわけないだろう、ははは。そしたら若い警
官が、お仕事は何時に終わるんですか。と言う
から、多分5時には終わると思いますと応える
と、じやあ夜も署のほうは空いてますから終わ
り次第○○警察署に出頭して手続きしてくださ
い。その時は免許証もいるんですよね、と馬鹿
な事、聞いちゃったんだ俺、気が動転してて。
もちろんです。ともちろん言われた。じゃあ、
スピード出し過ぎないように気を付けて運転し
て下さい。と解放されて仕事に向かった、とい
う一幕があったんだ。でも、よかったよ、その
刑事部長役のドラマがまだオンエアーされる前
で、ははは」

 刑事ドラマといえば
今年に入ってから、警察関係の役が異常に多い。
2月に撮影が始まった、NHK名古屋制作の刑
事ドラマが終わった途端、テレビ朝日系の警察
物「臨場」の撮影に入り、その間に「警官の血
」というスペシャル2時間ドラマに出演し、「
奥様は警視総監」という2時間ドラマで警視総
監を演じ、相棒というドラマのスピン・ムービ
ー映画にも役は刑事ではないものの出たしで、
警察関係ドラマ御用達という感があった。その
「臨場」の刑事部長役もすべて出番を撮りきっ
た。

 「臨場」といえば
このドラマでは、異常にカレーライスを食べた
という辛い印象が焼き付いている。全10話の内
6話出ていたが、1話に1度必ずカレーライス
を食べるシーンがあった。
 これが結構キツイ。
 例えば、あるシーン。
 刑事部長(俺ね)が警察食堂で旨そうにカレ
ーを食べている。そこへ部下の刑事が事件の経
過を報告しに来る。もくもくと食べながら報告
を聞く部長。部下は真剣に事件の経過を伝えて
去っていく。
 このシーンを監督がどう撮るかによって、カ
レーライスを食べる回数が違ってくる。カット
を細かく撮れば、それだけ増える。
 カット①
 カレーの皿のアップ。スプーンが入ってきて
中身をすくい持ち上げる。
 カット②
 部長の正面からのバスト・ショット。カレー
を口に運び旨そうに食べる。もう一口食べる。
 カット③
 カメラを引いて食堂全体が見える。数人のエ
キストラも何か食べている。部長がカレーを食
べている。2口ほど食べたところで、手前から
部下の刑事が歩いてきて、背中越しで部長の前
に立つ。
 カット④
 カメラを刑事に向けて、報告する刑事を撮る。
単独で刑事を撮れば、カレーは食べないで済む
が、手前に部長を入れて撮ると食べる後姿が写
るので食べないわけにはいかない。
 カット⑤
 横から部長と刑事の2ショット。報告する刑
事と食べながら聞いている部長。長い報告なの
で、ゆっくり噛んでも4,5口は食べる。話し
終わって去る刑事。
 カット⑥
 部長向けのカット。カレーを飲み込んで、刑
事に声を掛ける。
 カット⑦
 振り向く刑事のアップ。うなずく刑事。ここ
は食べないですんだ。
 カット⑧
 全体に引いたカメラ。カレーを食べている部
長の全身と去って行く刑事を縦位置で撮る。余
韻を撮るために長めに撮る。カットがかかるま
でカレーを食べる。
 さあ、たったこれだけのシーンで私は何口の
カレーを食べたでしょう。いや、本番前の本テ
ストでも食べている。取り直しになれば、更に
ふえる。
 こんな事もあった。ナイトシーンだったが、
夕方にリハーサルを始めたら、夕日がいい感じ
なので、急遽、夕景シーンにして撮ろうという
ことになって、時間が迫っているのでワンカッ
トで回すことになった。つまり、カレーの量が
少なくて済んだということだ。
 カレーはけして嫌いではない。初めての海外
旅行がインドという俺だ。ま、あまり関係ない
けど。腹がすいてる時間なら、まだいいんだ。
午後の3時だ4時だというのはキツイ。そんな
時は、昼飯を抜いてそのシーンに立ち向かう。
1話目に初めてカレーのシーンがあり、一口食
べたら、「うっ甘い」という代物で
「これ、バーモントカレーだろう」
と、冗談を言うと
「そーでーす」
と明るく切り返されて
「俺、辛口しか普段食べた事ないんだけどな」
と、苦笑まじりに言ったら、次のロケの時に用
意されたカレーが大辛口で、一口食べてセリフ
を言ったら、のどが掠れて声がでない。劇用に
用意された物に文句を言ってはならない、とい
う教訓を得た次第です。
 先日、出番の最後のシーンのロケが富士吉田
であり、撮影が終わったのが、昼の12時過ぎ
で、これはカレー食べるシーンではなかったが
花束を贈られて、帰るつもりで着替えていたら
「伊武さん、お昼食べていきますか」
とスタッフに言われ、2時間運転して自宅に着
くことを考えて
「そうしようかな。魚ね、肉しかないならいら
 ないから」
とメイク落としながら応えると
「今日は、カレーです」
という嬉しそうな声が返ってきた。
 最後にカレーで締めて「臨場」は終わった。
こうなれば、打ち上げの景品は松坂牛のカレー
か伊勢海老のカレーで決まりだな。

 ロケの弁当といえば
 食べ物の話が多い野郎だな、と思われますで
しょう。そうなんです。食べ物は、人生の中で
重要な位置を占めているんです。
 よく言われるのは、全国に行っていろんな美
味しいもの食べてられていいよな、という一言。
 この際だから、ある日から3日間のロケ弁当
を公開しちゃおう。

 1日目 都内の弁当屋
 2種類の弁当。チキンと魚、または味噌カツ
と魚。緑茶缶。チキンを選択。
 四角い弁当箱の中身。
 チキンから揚げ。
 まぐろの味噌漬け焼。
 切干大根の煮物ときゅうりのきゅうちゃん。
 ごはん。マカロニサラダ。

 2日目 千葉のロケ先の施設が制作。
 四角いトレイの上の物。
 マーボー豆腐丼 豆腐・ひき肉・竹の子
 吸い物 掻きたまご・竹の子
 竹の子の煮物 ややすっぱい。暑さのせいか。
 サラダ 小松菜・二十日大根
 バナナ3切れヨーグルトかけ。

 3日目 静岡県の弁当屋
 鮭ホイル包み焼しめじ添え。
 煮物 にんじん・こんにゃく・たけのこ・し
いたけ・竹輪・きぬさや。
 きんぴらごぼう。
 山菜おこわ飯。
 ポテトサラダ・きゅうりぬか漬け
 
 どうです。たいした物は食べてないです。
 でも、こうして文字にすると結構品数が多い
ですが、それぞれ少しずつだから。それと味付
けが、どの弁当も濃い。3日目のはなかなかの
物だったが、2日目のマーボー豆腐丼は中身の
竹の子の量が半端じゃなく多いうえに、吸い物
も煮物も竹の子で、寂しい思いを致しました。
 これで夜まで撮影がある日は、昼夜2食の弁
当を頂くという悲しい・・・いや、こんな泣き
言を言ったら、連日遅くまで頑張ってるスタッ
フに申し訳ない。
 でも、役者は体が資本ですから。
 正直、仕事が無い方が健康に良い物を摂取出
来て、仕事に入ると食生活が充実しないのが現
実で、そうすると、忙しく働くほど寿命を縮め
ている事になるじゃないか。
 この3日間は、夕方には自宅に帰れたので、
夕飯は、家庭料理を食べられたが。
 ついでに、我が家の3日間の夕飯を披露しま
しょう。いいじゃないですか、ついでという事
もあるし。

 1日目
 やりいか刺身
 銀だら しょうゆ漬け焼
 アボガド わさび醤油トマト添え
 奴豆腐 XO醤乗せ
 絹さやの卵とじ
 うど酢味噌あえ
 納豆 きざみキャベツ入り
   芋焼酎 2合

 2日目
 きんきの煮付け
 葉たまねぎのからし酢味噌あえ
 油揚げ ねぎ詰め焼
 さとうざや 煮びたし
 新ごぼうのサラダ
 ワカメとえのき茸の味噌汁
 ごはん 胚芽米 2杯
  
 3日目
 かつお刺身
 タコときゅうりの酢の物
 五目煮 鴨・れんこん・にんじん・ごぼう・
さやいんげん
 新たまねぎのバルサミコ酢炒め
 キムチ 韓国・珍島 無添加
 ハマグリと青菜の吸い物
   芋焼酎 2合

 こうして見ると、結構野菜好きだという事が
判るでしょう。ロケ弁当は、なにしろ野菜が少
なすぎる。

 という事で、話をだいぶ前に戻すが、今年に
入って警察関係の役が立て続けだったわけです。
 この辺で、充電を兼ねてのんびり海外に旅を
しようと計画を立てた矢先に、豚ウィルス騒動。
 ホテル・現地ガイド・乗り物、すべて決めて、
さんざん迷った末、今回は取りやめた。
 途端に、仕事が入ってきた。
 ありがたい事だ。
 が、しかし。
 またしても
 
 警官の役だったのである。
それも、交番勤務の制服で。
 警視総監、刑事部長、交番の巡査。
だんだん位が落ちてきている。

 ちなみに
 私、今年は厄年なのです。 
Date: 2009/06/02(火)


知夫里島は 本日も晴天なり」

 雅刀は疲れていた。
 年が明けてから、この日まで、大阪と名古屋を何
度往復しただろう。ここしばらく我が家でのんびり
と寛ぐ日々から遠ざかっている。陽だまりに寝転が
って本を読んだり、初鰹をつまみに芋焼酎のお湯わ
りを飲んだりという小さな幸せが懐かしい。
また新幹線に乗るのか。
またホテルで一人寝の日々が続くのか。
これは危険な兆候だ。
「俺は何のために生きているのであろう」
こんな言葉が、ふと口をついてしまう。

 大阪の仕事は、NHK制作の朝のテレビ小説とい
う連続ドラマで、半年という長丁場の収録。
そのドラマも後半にさしかかって、連日深夜までの
撮影が続いている。
雅刀の役は医者だ。大学病院に勤務する産婦人科の
医師。レギュラーとは言うものの本筋から離れた場
面に登場する程度の役だった。それが、後半に来て
出番が増えて来た。ドラマの舞台が祇園なのでセリ
フは京都弁だ。
東京生まれの雅刀にとって関西の言葉は馴染みが薄
い。アクセントがまるで違うし、アドリブが言えな
い。セリフが覚えにくい上に医学用語が出てくるの
で更に厄介だ、
「まだ台本出来ないのか、今週撮りがあるのに」
と、事務所に電話しても
「まだみたいです」
というそっけない返事がかえってくるだけだ。
そんな最中に、もう一本ドラマの仕事が入った。名
古屋のNHKが制作する刑事物の連続ドラマ。役は
捜査課の強面刑事。殆ど怒鳴りまくっている役なの
で、撮影が終わるころには喉が嗄れている。一月に
2時間ドラマで警視総監の役を演じたばかりなのに
あっという間の格下げは苦笑するしかない。
 こうして大阪と名古屋を行ったり来たりの生活が
続いている。
 さらに、間の悪い事に新たに発売されるDVDに
向けて、雑誌や新聞の取材が少ないオフの日に隙間
なく組み込まれるという事態になってしまった。
「冗談じゃない」
 雅刀は溜息まじりでつぶやいた。実際にこんな事
があった。ある日、スタジオで本番収録中にセリフ
が出てこない。頭の中が真っ白になってしまった。
その瞬間、雅刀は恐怖を感じた。
「このまま死ぬんじゃないだろうか」
 過労死などという無様な死に方はしたくない。

 そんな最中、朗報が届いた。
 隠岐の島ロケ。
 島根県の沖合いに連なる隠岐諸島。出雲の神々の
加護も届かない流刑の地。一度は訪ねてみたい秘島
である。さらに嬉しいことに、隠岐の島々の中でも
一番小さい島がメインのロケ場所らしい。知夫里島
という名の島は、人口700人。人より放牧された
牛の数のほうが多いという。是非行きたい、何とし
てもその島に辿り着きたい。
 名古屋のホテルでその知らせを聞いた雅刀は、興
奮を押し殺してマネージャーに電話を入れた。
「ちょうど良かった、いい気晴らしになるよ。えっ
名古屋から行く事になるのか。半端だな、名古屋の
空港からじゃ島根まで飛行機がないだろう、一旦東
京に戻って羽田から飛ぶのも面倒だし、大阪から飛
ぶしかないか」
 マネージャーの大井川慎吾が体に似合わないか細
い声で応えた。
「いえ、電車で行く事になります。朝8時頃の新幹
線に乗って岡山まで行き、乗り換えて鳥取県の米子
まで行き、港まで車で移動して、フェリーに乗って
2時間半で島に着くそうです」
「で、何時ごろ島に着くんだ」
「夕方の5時ごろです」
「・・・・なんだ、それ」
 移動だけで丸一日かかるのか。
「あと、防寒はしっかりして来て下さいと言ってま
した。ロケハンに行ったスタッフの話では、この時
期は雪が降ることもあるらしいですから。」
「本当かよ、日本列島の南に位置するんだから東北
地方よりは暖かいと思うけどなあ」
「・・・ですよね」

 8時13分発 のぞみ号博多行き。
 前日、深夜までかかる予定の名古屋市内でのロケ
が9時過ぎには終了して、ぐっすり眠り気分爽快に
起床して風呂に入り朝飯を食べ、タクシーで駅に向
かい、駅弁売り場で「ひつまぶし巻き」を昼飯用に
購入して、10号車の座席に身を沈めた。
 天気は快晴。窓外の風景を眺めながら、雅刀は上
機嫌だった。
「先は長い。久し振りに台本以外の読書が出来る」
 久し振りに味わうゆとりある時の流れに身を任せ
ているうちに、汗が噴き出してきた。
「暑い・・・」
 雅刀は、徐に立ちあがった。
 コートを脱ぐ。マフラーを取り、セータを脱ぐ。
座ってブーツを脱ぐ。
 寒いと聞いて、悩んだ末に選んだ旅装。
雨や風に耐えるための風防付きコート。
クロークの奥からひっぱり出したネパールで買った
厚手のチベタリアン・セーター。
パタゴニア社の薄手のダウンジャケット。
インターネットで検索購入したラバーダックという
もこもこのバックスキンのブーツ。
さらに、インナーにと近所のユニクロに買いに走っ
たヒートなんとかという長袖の下着とタイツ。
おまけに、極太の毛糸で編んだ靴下。
 完全防備の冬支度。
 暑いはずだ。島は本当に寒いんだろうか。このま
ま八甲田の雪山に向かっても耐えられる。雅刀は、
網棚に大量の衣類を載せて、文庫本を読み始めた。

9時52分 岡山に着く。
 特急「やぐも」に乗り換える。次の降車駅、米子
に到着するのは12時11分である。
 山間の中を列車はひた走る。
 窓外の景色が変わった。山は深い。岩のあいだを
流れる川は澄んでいる。所々に点在する家屋の屋根
は、揃って瓦葺で、燦燦と降り注ぐ真昼の日差しを
浴びてキラキラと輝いている。心を和ませる風景。
日本はいい国だ、と改めて感じさせる景色である。
 しかし、ゆれる。
 グリーン車は禁煙なので、雅刀は喫煙のたびに隣
りの自由席に移動するのだが、揺れが激しく?まり
ながら歩かないと転びそうになる。新幹線の優秀さ
を改めて感じさせる列車である。
「車内販売は次の米子駅を持ちまして終了とさせて
 いただきます」
 小太りの売り子が、回転数を落としたテープのよ
うな間延びした声を上げながら、よちよち車内を移
動して来た。新幹線の女性乗務員の見目麗しさを改
めて思い出させる売り子であった。
「都会では見かけないタイプだな」
 横を通過する女の子をちらりと観察して、雅刀は
思った。
「でも、素朴でなんかいい感じの娘じゃないか」
 車窓を流れる奥出雲の風景には似合いの娘だ。
 都会の子とは違う。しかし、名古屋は都会なのだ
ろうか。大阪は都会といえる。が、名古屋は。その
時、雅刀は一人の女の子を思い浮かべた。
「早く結婚したい」
 大学卒業を間近にひかえたその子が言った。医者
のひとり娘。名古屋のカフェ・バーで海外旅行のパ
ンフレットをながめながら。
「やりたい事とかないの?」
「うん。もう遊んだ。もういい」
「でも、結婚したら自由がなくなるぞ」
「子供、早く欲しい」
 即答が返ってくる。今時の娘なのか、都会の娘だ
からか、会話が極端に短い。何々だからどうだ、と
いう話し方に慣れているから戸惑ってしまう。こん
な子供みたいな娘が結婚したいとは。
「あのさ、よくドラマなんかで家財道具をトラック
に何台も連ねて嫁入りするって、本当なの」
「そうかも」
「普通はお色直しって2回ぐらいだろ、名古屋だと
3回はやるのかな」
「10回はやりたい」
「はあ・・・・10回」
 真面目な顔で応えたその娘を、雅刀は唖然として
見つめていた。二人の兄は医者だというから金持ち
の家庭に育った娘なのだろうが、それにしても。
 名古屋という土地柄で面白いのは、エビの消費量
が、全国一だそうだ。カツサンドならぬエビフライ
サンドがある。ルイヴィトンのショップ数が全国一
だそうだ。喫茶店のモーニングサービスが充実して
いて、トーストとタマゴは当たり前、しかも昼まで
やってる店も多いと聞く。それぞれのファミリーが
行きつけの店を持っていて、土日祭日は家族で朝飯
を食べに行くらしい。喫茶店のメニューに必ずと言
っていいほどあるのが、スパゲテイと焼ソバ。頼ん
でみたら、熱々の鉄板の上に乗って出てきた。別の
店で頼んでみても、やはり鉄板に乗っていた。あん
かけスパゲテイなるものも同じく鉄板使用だった。
 名古屋という都会には、まだまだ独特の文化があ
りそうである。
 そんな都会で育った娘と、さっきの車内販売の素
朴な娘のどちらにも面白いと納得させるドラマとは
どういうものなのか。
 陽だまりの中を走り続ける列車に揺られてまどろ
みながら、雅刀はそんなことをぼんやりと考えてい
た。奥出雲の風景が飛び去っていく。

 米子に着いた。
 撮影隊のスタッフが出迎える。
「おつかれさまです。伊武さん、お昼、どうしまし
ょうか。この辺りで食べるか、港まで行ってそこで
探すか、時間は充分ありますから」
「夜は、魚が出るよね」
「出ます、出ます、魚の宝庫ですから、隠岐は」
「島には、ラーメン屋とかあるのかな」
「ラーメンどころか食堂や飲み屋はありません」
「一軒も」
「ゼロです」
「・・・じゃ、しばらくの食い収めにラーメンかそ
ばでも食べますか」
「構内の二階にレストランがありますから、そこで
食べましょう、ラーメンもそばもありますから」
 雅刀は落胆した。名古屋からはるばる列車に乗り
次いで米子に着いたのだ。ちょいと旨い蕎麦屋で割
り子そばぐらい食べても罰は当たらないだろう。し
かし、そこをぐっと堪えるのが大人というものだ。
 階段を二階へ上がり、入り口脇に並ぶ蝋細工のメ
ニューをながめる。全国共通定番食堂メニューの品
目が並んでいる。
「うん、なんだ」
 雅刀の眼がある一点を凝視した。
「・・・・鬼太郎まぐろラーメン」
 どんぶりの横に但し書きが置いてある。
 まぐろの頭を炙り、昆布とじっくり煮込んだ黄金
色のスープに、地元鳥取産の大豆醤油に浸けたまぐ
ろと磯のりがトッピング。
「これだ。これしかない」
 雅刀は心の中で叫んだ。
 そうか。米子は鳥取県になるんだ。水木しげるの
故里じゃないか。それで、鬼太郎ラーメンか。
 
 注文し、食べ終えた雅刀は、境港に向かった。
 ラーメンに関して一言感想を述べるなら、もう一
度米子に来る事になっても、また食べようとは思わ
ないな、けして不味いというわけではないが。

 境港 2時10分発 隠岐汽船フェリー「しろし
ま」に乗り込む。
 いよいよだ。未知の島が待っている。
 目的の地、知夫里島には4時30分に入港する。
2時間20分の船旅だ。船は時間通り出港した。
 この季節ではめずらしいほどの凪の海だと乗客が
話している。波の荒い日は欠航するという。島の港
に接岸出来ないらしい。
 幸先いいじゃないか。雅刀の胸は高鳴った。
 のどかな日差しを浴びて船は静かに進む。個室の
窓には群青の海と水平線を境に雲ひとつない青空が
広がっている。単調なエンジン音が響いている。旅
の疲れが出たのか、雅刀はいつの間にか眠りに落ち
ていた。
 ふと気が付いて窓外に目をやると、いつの間にか
島影が迫ってきた。時計を見る。4時10分。遂に
着いた。雅刀は大きな伸びをして下船に備えた。
 
 島に着いた雅刀に、思いもよらぬ事態が待ちうけ
ていた。

 人口700人の小さな島だ。簡素な待合室。かも
めがのどかに飛ぶ長閑な船着場を想像していた。
 寝覚めのぼんやりした意識のまま、下船する乗客
の後を付いてタラップに近づくと、大勢の人々が港
に集まっていた。乗客の中に島の偉い人でも乗って
いたのか。雅刀はがっかりした。秘島に上陸するに
しては騒がし過ぎる。なるべく後から降りて、あの
群集が引くのを待つに越した事はない。垂れ幕まで
持ってやがる。一体どんな野郎が乗っていたんだ。
何?えっ?・・・ようこそ・後藤先生。おい、後藤
先生って、俺の役名だよ。俺なの。この歓迎の人々
は私のためにお集まりなさって下さったのわけか。
 雅刀は焦っていた。だって、こんな格好だよ。も
こもこの冬装備だよ。役柄から遥かにはなれたいで
たちで、しかも、寝起きだよ。
 タラップに立った途端、歓声が沸き起こった。ク
ラッカーが鳴り響いた。

 雅刀は感激していた。花束を受け取る手が震えて
いた。100人を超える島民の温かい歓迎を受けて
目頭が熱くなった。伊武雅刀を迎えているわけでは
ない。「だんだん」というドラマの中に登場する後
藤先生を温かく歓待しているのだ。そんなことは判
っていても、嬉しいじぁあないか。ありがたいじゃ
ないか。役者人生40年、この瞬間を深く心に刻ん
で、さらに芸の道に精進しよう。

 知夫里島。
 そこは、手付かずの自然が残る貴重な島だった。
 広大な禿山のてっぺんに立つ。360度のパノラ
マ。彼方に隠岐諸島のひとつ、西の島が浮かんでい
る。5月になれば、この展望台の裾にひろがる禿山
は一面に野だいこんの花が群生するという。
 赤壁の上に立つ。島の一部をざっくりと削り取っ
たような断崖絶壁は壮観だ。崖の上から下の海を見
下ろすと、ぞくっとする。島内きっての名勝地だ。
そして、柵などで囲わず自然のままにしてあるのが
良い。本来なら自殺の名所にもなるはずなのに、人
は一人も死んでいないという。となりの西の島にも
似たような崖があり、そこは柵で囲ってあるのに過
去に何人か飛び込んだという。そんなものかも知れ
ない。崖の縁に近づくだけで足が竦んで恐怖を覚え
る。囲わないから安全なのだ。人は死なないが、牛
が落ちて死ぬ。岸壁の縁は踏み荒らされていない美
味しい草が生えているので、牛がそれを食べに来て
落ちる。落ちたら、何の組織も残らないほど粉々に
なるという。
 牛はたしかに多い。自然の草を食べて育てるので
この時期はあまり目につかないが、それでもかなり
の数の牛が、そこかしこに点在している。牛は、こ
の島で半年の間のんびり放牧させて育ち、但馬など
に出荷される。
 よこわという魚も、1本釣りして海の生簀に囲い
数がまとまると、他県の業者が引き取りに来て、養
殖まぐろに育てる。
 子供も最初の育ち方が肝心だ。
 この島は、命の源なのだ。
 素晴らしいのは、島に海女がいないという事だ。
日本で唯一、海女がいない島。この島の漁のやり方
は、舟の上から銛でサザエやアワビを突いて獲る。
乱獲出来ないようになっている。だから海中にはサ
ザエやアワビがごろごろしている。島に来た観光客
は、磯で泳いで、それらの魚介類を取り放題。浜で
バーベキューを楽しんでもお咎めなしという夢のよ
うなところなのだ。
 ほんだわら。神葉と書く海草や岩のりも旨い。
 旨いと言えば、野菜が実に旨い。牛のふんと海草
がふんだんにあるので、土と混ぜて天然肥料にして
野菜を育てる。力のある味の濃い野菜が育つはずで
ある。
育つ人間も純朴だ。都会の中で生きる人間に比べて
穏やかだ。子供たちは天真爛漫で、島人は優しい。
 信号がひとつもない。そのわりに島を巡る道路は
舗装されているのは、島根県が生んだT首相の置き
みやげだろうか。その舗装道路の上に、牛のふんと
落石がてんてんと落ちているのがなんだか嬉しい。
 文明を求めれば、不便な所に違いない。
 人工物に囲まれた豊かさを否定はしないけれど、
渋谷駅のスクランブル交差点を歩くのと、島の草の
上を歩くのでは、どちらが気持ちいいか。
 知夫里島は、雅刀に「活」を与えてくれた。

 「ありがとう。
 生きているうちに、もう一度来ます。」
Date: 2009/04/10(金)


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